理想的コミュニケーションの不可能性について2
この記事は哲太が書きました。
前回の記事「理想的コミュニケーションの不可能性について」で、準備としてアインシュタインの相対性原理を用意しました。これを使って、異なる主体における認識の差について考えましょう。
3.身体の慣性系
主体というものが何でできているのかというのは難しい問題であり、身体と精神に分かれているのかいないのか、その他いろいろな議論が主に哲学において、あります。ただし、身体無しに主体があるということは、普通のヒトについては、考えられません。かならず身体が存在します。ここでは、身体の上に精神があるのか、精神に身体が付随しているのか、ということは問題にしません。身体が存在することが重要なのです。
どこからが生命でどこからが生命ではないのか。これも難しい問題であり、器官を分割していって細胞までいけば、そこから身体が復元可能なのか、はたまたまったく異なる機構によって生命という概念が与えられているのか、これも分かりません。ただし、身体が細胞から成っていることは疑いようのない事実です。
さらに細胞は何から成っているのかというのも、素粒子論的難しさをはらんでいます。どこまで小さいものを考えれば、最小単位にたどりつくのか分かりません。ただし、その最小単位は既知の、もしくは未知の物理法則に従うと断言できます。
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