言語によって変わる次の瞬間の私たち
この記事は哲太が書きました。
頭の中身と記号とをつなぐ言語という関係性が、私たちの言語活動を可能にしています。日本語を身につけているからこそ、そこから日本語で話すことという行為を引き出すことができるのだと思います。しかし、「日本語」という言語は最初からあったわけではなく、日本人が昔からずっと繰り返してきた生活の積み重ねによって蓄積されてきたものなのでしょう。
いまや、私たちは「日本語」を手にとることができます。日本語の文法について論じることができますし、広辞苑を引けばすぐさま単語の意味が調べられます。
ここで、日本語はひとつ抽象された、日本人の生活からは剥離したものです。言語だけがその空間に暮らしているような、言語の世界で「日本語」が生まれました。私たち日本人の生活のひとつひとつ、語り、読み、書き、それらが日本語に魂を与え、生命を与えたのです。
抽象された「日本語」が存在するからこそ、日本人以外の人間は日本人とコミュニケーションをとるべく日本語を勉強することができます。
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