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2008.10.24

生きる時間、見る歴史

この記事は哲太が書きました。

時間と空間については、気になることがいくつかありますが、最近の議論からまとまったアイデアを書いてみたいと思います。

1.時刻と時間の性質

まず最初に、時間の流れは時間軸上を考えるものとします。時刻とは時間軸上のただ1点を指し、時間とは時間軸上の1つの範囲を指します。

時間の連続性、つまり途切れずに続いているという性質を認めることにしましょう。すなわち、10月20日の次の日がいきなり10月30日になることは無いという範疇で考えることにします。

この連続性を仮定した場合、現在と呼ばれる”ある定まった時刻”の直前の時刻が、現在に影響することは間違いないでしょう。経験から、その直前の時刻だけではなく、かなり大きな範囲の前の時間、極端に言えばすべての前の時間に依存して現在が決まっていると感じることもあるかもしれません。

また、もう一つ時刻には前後関係が定まるものとしましょう。すなわち、ある時刻ともうひとつの時刻のどっちが先に起こったか一意的に決めることができるものとします。

つまり、未来の後に過去がくることはありません。

2.現在における全世界の状態

この現在という時刻における、全世界の状態を考えます。これは、直前の時刻、あるいは全ての前の時間に依存して、ひとつに決まるでしょうか?これを考えるには、状態というものを確定させるための定義が必要です。この定義を、物理学的に位置と運動量が定まることだとすることにしましょう。イメージとしては、どこに何があるか分かっていて、それらがどういう運動をしているか分かっている、という感じのことを状態が定まっているということにします。

このようにある時刻における状態を定義した時には、量子力学の観測の問題(参考「量子スケール世界に対する「測定」と「認識」」)に代表されるように、状態をひとつに定めることができません。(ハイゼンベルクの不確定性原理

この不確定性にうまく対処するために量子力学の与えた解決策は、状態を重ね合わせで考えるということです。つまり、今はAという状態かもしれないし、Bという状態かもしれない。例えば、Aという状態である確率が8割、Bという状態である確率が2割というような、AとBの確率的重ね合わせの状態になっている。

言い換えれば、現在というのは我々が今まさに生きている空間であるにも関わらず、どんな状態か一度に調べることはできないということです。現在は重ね合わせの状態である。

3.現在を観測するということは?

今現在、というのが何か分からない!こんなに不安なことは無いわけで、なんとかひとつに定めたい、と思ったとしましょう。

現在という固定された時刻から時間の流れが全く無いかぎりは、現在の状態を調べることができないということが不確定性原理から分かったわけですから、他の時刻から現在を観測するということでしか現在の状態を調べることはできません。

時間軸上で、現在以外の点は過去、あるいは未来です。

(1)過去から現在を観測する場合
過去の全履歴からのパターン抽出による予測、もしくは占いをすることになります。この精度は、少なくとも状態の定義を位置と運動量においているかぎりは不十分といわざるをえないでしょう。

(2)未来から現在を観測する場合
物理量を測定するということができます。いわゆる、普通にデータを取るということです。不確定性原理以前では、”現在における観測”というものが可能だという仮定がありました。つまり、何かの機械で状態を調べて返ってきた値は、その時刻における値だということです。しかし、量子スケールで観測した場合、あまりに調べる対象が小さく繊細すぎて、機械の測定は、その小さなものたちの状態に影響します。したがって、現在においての測定の結果は未来において得られ、そのときには状態は変化しています。(この状態はまた不確定です)

このあたりの話は少し分かりにくいかと思いますので丁寧に説明しましょう。まず、前提としてある時刻にはある重ね合わせ状態が1対1対応しています。つまり、時間の流れが状態の変化に規定されているといってもいいでしょう。

現在における測定によって、状態はA→Bと変化します。ということは、このとき時間は流れています。測定前と測定後で時間は流れました。このとき、測定後というのは現在から見れば未来であるわけですが、このある未来においては、ひとつの測定データが得られています。このデータによって現在(未来から見れば過去)の状態を推測します。

ここで、人間の状態認識は、不確定性原理により完全ではなく、最良の場合でこれ以上改善できない推測値でしか得られない、ということを注意します。

したがって、データによる現在(未来から見た過去)の状態の推測は、現在の状態を認識する、つまり決めるということに当たります。

4.生きる時間

僕らはいつを生きているのでしょうか。未来になれば(だいたい)分かるところの現在。現在という時刻の上に立っているかぎりは、重ね合わせの状態を超えることはできません。未来というひとつ後の時刻に立つことで、その時初めて現在の状態を決めることができる。

今、現在という経験、つまり生きるということは、それそのものでただ鮮やかに存在しているように感得されるものです。確定していようがいまいが、生きていない、ということにはならない。

僕の価値観では、この体験としての不確定の現在は、未来になって確定した現在よりも重要です。

ここで、現在の状態ということに、二重の意味が発生することになりました。つまり、現在を現在から体験するという行為の最中にあるという状態と、現在を未来から観測するという記述された状態です。

このアイデアは言語的情報が、書かれているものか発せられているものかという違いにも関連するかもしれません。

5.見る歴史

最初に触れた、現在は何に依存して決まっているか、という問題に戻りましょう。結論から言えば、直前の現在であるところのある過去における体験と、現在以前の過去において成されたさらに前の過去の観測による認識の、二重になった状態の過去が現在を決めていると思います。

分かりにくい場合には、先ほど現在を基点に考えていたものを、もう少し後の時刻を基点に考えて言葉を整理してもらえればよいと思います。未来や現在という言葉は相対的に使っているため、文脈を読みはずすと誤解を与える可能性が多分にあることをお詫びしておきます。

4.以前で考えた、未来からの現在の観測によって得られた記述、これに歴史という名前で呼ぶことにしましょう。歴史とは何かという問題は難しいですので、ここではあまり詳しくは触れず、その言葉の持つイメージを優先してそう呼ぶことにします。

現在、という時刻をいろいろ動かして考えると、この歴史を連続的に蓄積できることに気がつくでしょう。これは現在の状態にとって、重要な成分です。なぜなら、現在は未来から観測されて歴史の一部となるため、この連続的蓄積は現在まで関連付けることができるからです。

直感的な推測では、(細かく考えるためには歴史学を勉強しなくてはならないでしょうが、)この連続的な蓄積は、我々が生きる時間軸というものとほぼパラレル、もしくは同一上に重ね合わせとして存在するものでしょう。

すなわち、その歴史という蓄積は、それそのものが時間軸であるかのような、過去、未来そして現在を持つと推測してもよいでしょう。







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1-01.哲学」カテゴリの記事

コメント

難しい考察ですね。私は歳のせいか時間というものを余り意識しなくなりました。心底では時間などというものは人間が便宜上考えたもので、実際は生命体をふくめた物質の変化があるのみと思っています。禅師が言う時間に使われず時間を使うというわけにはいきませんが、あえて現在はというなら時間の感覚を超越したような充実したひととき、歳を取ると1年に数回はそう言うひとときを経験するようになりました。春風が若草を輝かせ揺らせて原を渡るときそこに自分がたっているとき、好きな仕事に熱中するとき、そこでは柱時計の長針が動くだけのこと、時間の意識、過去現在未来などは意識されません。そこには時間を超越した充実した世界(現在)があるのみだと考えます。

投稿: kounit | 2009.02.14 20:21

コメントありがとうございます。

時間を1つ決めてその瞬間に現前するところの空間には、すべての世界の要素が密に充填されているはずです。空間に配置されているものとして、物質を考えることができると思います。

空間はその意味でひとつ認識することができるのですが、これを区別するためには時間という考え方が必要になるのではないかと思います。

ある空間の状態と別の空間の状態を区別していかなければ、科学的な考察が成り立たなくなることがネックなのかもしれないです。生きていることで必要になるのは、自分のまわりを囲む世界がひとつあることだけだと思います。

投稿: 哲太 | 2009.02.15 18:17

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