個人における言語使用について
この記事は哲太が書きました。
「個人における言語活動の能力と行使」。ソシュールは一般言語学講義を3章だてで構成していました。すなわち、
1.諸言語
2.言語
3.個人における言語活動の能力と行使
です。(フェルディナン・ド・ソシュール「ソシュール一般言語学講義 コンスタンタンのノート」、東京大学出版会、2007)このうちの3部が講義で扱われることはないまま、ソシュールは世を去りました。
「コミュニケーションの構造」「コミュニケーションの構造2」をはじめ、今までコミュニケーションに関してアイデアをいくつか書いてきました。「コミュニケーションの3層構造」で書いたように、僕はこれらのことに数学的記述を与え、さらにコンピュータで実装することを目標にしています。
特に、言語はいうまでもなくコミュニケーションの重要な一面です。言語特有の事情があるため、言語とコミュニケーションは1セットで並行して考えていかなくてはなりません。
まず言語の仕組みを考えるために
1.シニフィアンとシニフィエ
2.言語写像と記号空間
について書いておきます。その後で
3.コミュニケーションについて
を考えてみます。
1.シニフィアンとシニフィエ
世界は実体を持って眼前に存在します。これらがもし一様でのっぺりしたものであったなら、僕らは退屈でしかたがないでしょう。トパーズ色の香気が立つレモンや、岩に染み入るような虫の声がほかのどんなものとも区別がされないのは甲斐がありません。
世界は凹凸があり、すべての空間に差異があります。どの点を取っても同じということはありません。人間はこのでこぼこに基づいて世界を分割します。分割の方法はいろいろあります。例えば、赤いところと緑のところを視覚的に分ける、とか、本と本棚を空間的に分ける、とか。
その分け方のひとつに、シニフィアンとシニフィエがあります。シニフィアンは「単語、フレーズ、イメージなどの音や見たところの姿」(キャサリン・ベルジー「ポスト構造主義」、岩波書店、2003)、シニフィエはその意味で世界を分割します。
シニフィアンは目に見えるので分かりやすく、主に言語記号を用いてあらわされます。”犬”とか”トマト”とかです。これに対してシニフィエは犬という概念やトマトという概念です。
ことばではっきり言わなくても犬と猫の違いは、みなさん頭の中で思い描けるでしょう。その少し考えてもとらえどころのないような、しかし確実な存在を感知できるものがシニフィエです。一方、ことばではっきりとらえたものはシニフィアン。
トマトのシニフィエと”トマト”というシニフィアンは言語によって対応付けられています。この対応は恣意的である、というのがソシュールの仕事の中で最も取りざたされるものです。日本人としてはにわかに信じがたいことに、アメリカ人はトマトという概念を”tomato”というシニフィアンと対応付けているのです。
2.言語写像と記号空間
ここから先は数学のことば。今回はとりあえず補足説明なしに数学の作法でざっと書きます。そんなに難しい数学ではないので、少し知っている方は読んでください。ここで扱う線型代数の考え方については「言語認識の線形性」「言語認識の線形性2」で少しだけですが触れています。
シニフィエ、シニフィアンはそれぞれ世界の分割を表すといいました。どうやって分割して世界をみているかはっきりさせることは大事ですから、シニフィエによって分割された世界をシニフィエ空間 I 、シニフィアンによって分割された世界をシニフィアン空間 S といい、まとめて記号空間とよびます。
2-1.言語写像
先ほどの対応関係を写像で書くことにしましょう。すなわち、言語写像 L を以下によって定義します。
シニフィアン x ∈ S 、シニフィエ y ∈ I に対して、
y = L(x) …(1)
x = L^(-1)(y) …(2)
L = L^(-1) …(3)
ただし、L^(-1)はLの逆写像。(3)式は言語の対称性を表しています。あるシニフィアンからあるシニフィエを想起する場合と、あるシニフィエからあるシニフィアンを想起する場合は同じ対応関係になります。これは記号の恣意性によります。
2-2.シニフィアン空間
シニフィアンによる世界の分割はどういうものでしょうか。これは簡単で、記号の差異によります。異なるn個のシニフィアンで世界が分割されており、世界のすべてのものはこれらの結合で書けるとすれば、シニフィアン空間 S はその部分空間 S_kによって、
S = S_1 + S_2 + … + S_n …(4)
と書けます。今、シニフィアンの線形性を仮定し、I が線形空間だと思います。シニフィアンを2つ足し合わせたものはシニフィアンであり、シニフィアンの定数倍、すなわち同じものを複数集めたものもシニフィアンであることから示すことができます。
シニフィアンには互いに重なり合うものが無いとして、(4)式が直交直和分解だとすれば、それぞれの部分空間から基底ベクトルをn個取れて I を張ることができます。これは(3)式から L は対称変換なので L はスペクトル分解(固有値分解)可能であることから示すことができます。これらの基底は正規直行基底であるとし{ e_k }と書くことにすれば、適当な係数 A_k を取って、
x ∈ S,
x = A_1*e_1 + … + A_n*e_n …(5)
と書けます。
2-3.シニフィエ空間
シニフィアン空間と全く同じ構造をシニフィエ空間について導入しましょう。ただし、概念のひとかたまりは境界が定かではないので、概念の単位として基底概念を定義します。これは、シニフィアン空間でいうところの、それぞれの具体的な記号にあたると考えてください。
異なるm個の基底概念でシニフィエ空間が分割されているとすれば、
I = I_1 + I_2 + … +I_m …(6)
ただし、シニフィエの線形性はシニフィアンほど自明ではありません。基底概念はその線形性を満たすように定義しているとします。(6)が直交直和分解であり、基底ベクトルをm個取ってきて正規直行基底{n_k}とし、係数 B_kについて
y ∈ I,
y = B_1*n_1 + … + B_m*n_m …(7)
と書けます。
2-4.言語写像の性質
言語写像は、シニフィアンをシニフィエの線形結合にうつす写像です。y ≠ 0とすれば、
| y | = 1 …(8)
と正規化しておくことにします。このとき、{n_k}が正規直行基底であることから、
| B_1 |^2 + … + | B_m | ^2 = 1 …(9)
(9)式と| B_k | ≧ 0 より、| B_k |^2は確率として解釈することができます。| B_k |^2が大きいほど、シニフィエ y が基底概念 n_k に依拠する割合が上がるとみることができるでしょう。つまりは確率| B_k |^2の分布において、もっとも山の大きいところが、そのシニフィエの中心概念となっています。
言語写像がシニフィアンを概念スペクトル分解するという性質だけを反映させれば、Lはスペクトル分解演算子であるといえます。つまり、空間上の1点(1記号)の座標表示であったものを、ベクトルの線形結合表示に直す写像です。
絵を思い浮かべてみます。シニフィエyが規格化されていることを考えれば、シニフィアンxはシニフィエ空間上のm次元単位球面上に分布しているといえます。この単位球面上の点がm本の座標軸に正射影されてくるところをイメージしてください。
ここまでで、今のところ分かっている言語の性質を盛り込みながら数学的モデルを作ってみました。このモデル上でコミュニケーションはどうやって定量化できるでしょうか。この話題は次の記事にまわすことにします。
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