予測市場と集合知の「実装」
この記事は哲太が書きました。
個人に分散した知的行為を1つの数値に集積するシステムという意味で、近年「集合知」という言葉が用いられるようになってきました。辞書の編纂をすべての人の知恵を合わせて行う『Wikipedia』や、ソースコードをウェブ上のすべての開発者で共有するオープンソースソフトウェアの概念など、現在のウェブにおいて、集合知を実装したシステムはもっとも重要であると思われます。Googleの検索アルゴリズムの重要な概念であるPageRankも大きい意味では集合知を用いていると考えられます。
近年徐々に規模を大きくしている集合知の実装システムに、株式市場のシステムの集合知の側面のみに着目して抽出したシステムである予測市場があります。予測市場は株式市場における人々の経済行動における集合知に特化してこれを利用しています。今後多くの集合知を利用したシステムが出現すると考えられますが、予測市場を例として、そもそも集合知とはどういう性質をもつのか、実装における問題点は何か、などを考えてみたいと思います。
1.予測市場とは
予測市場(prediction market)とは、株式市場を模した仮想システム内で予測の対象を”銘柄”として扱うことで、それらの”株価”の高低によって、その対象の実現可能性を 推測する仕組みです。この仕組みの原理はF. A. Hayek(1945)による、「市場の価格決定システムは各個人に分散した知識を集積する仕組みである」と いう主張に基づくものと考えられます。これをシステム化したものが市場予測システムということになります。
具体的な”株価”の出力は以下のようにして得られます。
「サッカーの国際試合「FIFAクラブワールドカップ2007」の優勝チームを予測する場合、参加チーム──ACミラン、ボカ・ジュニアーズ、浦和レッズ ──を“銘柄”に見立てて仮想市場に上場させる。額面は各銘柄とも同額(例えば10ポイント)。「予測終了時には優勝銘柄に80ポイント、他銘柄に 0ポイントを払い戻す」などと設定する。
同時に主催者は、参加者に対して仮想通貨を分配しておく。参加者はその仮想通貨を用いて、まず全銘柄のセットを購入。一定の参加者がセットを購入した時点で取引を開始する。後は株式市場と同じ要領で銘柄の売買を行う。ブックメーカーのような「賭け」とは異なる。
実際の売買の様子はこんな感じだ。例えば、現在のACミランの株価が50ポイントだとする。もしあなたが予測する優勝チームがACミランである場合、同銘 柄を保有することで30ポイントの差益を期待できる(払い戻しが80ポイントであるため)。そこであなたは、50ポイント以上の価格でACミラン銘柄を注 文するだろう。そのように考える人が多ければ、市場原理によりACミランの株価が上昇することになる。結果的に均衡した株価が、出来事(ACミランの優 勝)の現実の予測値となる。」(『時代を読む新語辞典』より引用)
2.予測市場の例
2-1.はてなアイデア
『はてなアイデア』とは、株式会社はてなにより2005年頃から実装さ れてきた予測市場システムです。ユーザーからの要望や不具合報告などの「アイデア」を”銘柄”とし、”株価”の高い要望を優先して改善、実装するという 試みです。細かなエラーの報告から新たなサービスの要望まで種々の「アイデア」があがっていますが、2009年7月現在、6000を超えるアイデアが実装 されています。
ユーザが似たアイデア同士を結合させることができるなど、より効率的にユーザの要望を抽出するための仕組みが充実しています。サポートにかける企業側の労力 を抑えることを目的とした集合知の利用とみることができますが、この考え方に否定的な意見を持つはてなユーザもいるようです。ブログ「どんなジレン マ」 は「企業がすべきことをユーザーに負担させているように思える」ことを理由に「今の形のはてなアイデアだと、ユーザーが中途半端な形で巻き込まれてしまう ように思う」としています。本来、企業が手仕事でやっていたユーザのサポートを自動化させたという側面でみると、手作業による製品から機械製品が主流に変更 していった昔を対比させて考えれば、手放しで喜ぶべきなのかは慎重に判断するべきと思われます。ただし、自動化の良い点があることは認めざるを得ません。仕事にむ らのないこと、作業効率の良いことなどです。それを実現するために、人の声によるサポートの温もりやきめ細やかさなどを犠牲にしていることは忘れられて はならないことでしょう。
2-2.Prediction
『Prediction.jp』は株式会社Predictionによる、 ユーザ主導の総合ジャンルの予測市場システムです。「ベット」と 呼ばれる、ひとつの”銘柄”に対して不特定多数のユーザが仮想資金を賭け、それによって期日での配当金のオッズが変動する仕組みと、「ストック」呼ばれ る、ひとつひとつの予測を株に見立てて参加者が売買する仕組みがあります。予測市場としてのシステムは後者です。ユーザは”銘柄”を作成することができます。
現段階では、ひとつの”銘柄”に対して100人以上が集まることは少なく、統計的に十分な標本数があるとは言えず、集合知としての精度は低いと思われます。確率の理論が適用できるだけのユーザ数が維持できるかどうかがコンテンツの質に大きく影響するといえるでしょう。
Prediction社の苅田あずさ社長は「昔アメリカでブログがはやり始めた頃、書いても儲かるわけでもないのに誰が書くんだと言われましたが、今では ごらんのとおりの盛況です。予測市場も、案外当たるとか、市場に参加する楽しさが知られるようになれば、必ずしも現金につながらなくてもヒットするので は」(「未来予測を売買する「予測市場」いよいよ日本上陸」より引用)と言います。ユーザの参加意欲を 「楽しさ」だけに依存する仕組みで統計的に十分な質のデータが集められるのかについては疑問点が残ります。
3.予測市場の性能と問題点
集合知とは何か、そしてこれから何が起きるのかについて討議する場所を提供するものに、株式会社テックスタイルが主催する「群衆の叡智サミッ ト」があります。第3回目となる2009年度の開催が5月に行われ たそうで、その規模は徐々に大きくなってきている模様。テーマとして掲げられる“群衆の叡智”とは、「「みんなの意見」は案外正しい」で有名になった“Wisdom of Crowds(WOC)”という概念によるもので、権威者による少数意見よりも、群集の多数の意見や情報のほうが正しい結論や予測になることが多いといっ た考えに基づいています。これは上述の「集合知」という概念とほぼ同義だと考えられます。
第2回の開催である「群衆の叡智サミット(WOSC) 2008 Spring」のメインテーマは「みんなの意見」は専門家より正しいかということでした。そもそも群衆の叡智、集合知とは何なのか、また現在のシステムの問題点が議論されました。本稿では、これらの議論の論点を振り返ることで、集合知の中でも予測市場という側面がどれだ けの性能をもっており、何が問題であるのかを考察してみたいと思います。
3-1.群衆の中での個人の声
はてな執行役員CTOの伊藤直也氏は、集合知の利用の観点として以下の2点を挙げます。
- 統計的手法による情報の集約
- ソーシャルメディア的性格の認知
つまり、ひとつは全体の平均的な情報は重要な情報であるという観点であり、もうひとつは個々人の意見とその交流が重要な情報であるという観点です。同氏 は「単純なブックマークだと、マスに近づいていく。個々人にカスタマイズしていくことが重要」と述べます。単純に多数決で一番多い意見が重要であるという結論は、あまりに情報というものの構造を簡単化して考えすぎていると思われます。予測市場はユーザ同士がお互いに相手の出方をうかがい、そこに駆け引きがある ということが前提されているからこそ機能する。それを観察されているということを忘れて、自然に情報が交流しているしているときに、経済のモデルは一番よ く働くと思われます。
3-2.統計的手法はいつ適用されうるか
IBMビジネスコンサルティングサービスの伊藤久美氏は集合知が実現するための条件として、以下の4つを提示した。
- 他人に左右されない「独立性」
- 異質の集まりであるという「多様性」
- 結論を出すしくみを持つという「集約性」
- 個別の情報源を持つという「分散性」
「独立性」の条件は、データを最適化処理する上で確率の理論を適用する際に必要です。つまり、統計的独立性のことを指しています。たとえば、画像処理などの物理的な処理においては、これらの仮定が妥当だというのはそう見当はずれとは思われない。ただし、前節で見たように、集合知を利用する上で意識されなければならないのは、特に予測市場においては、個人間の交流が本質的に全体の行動を制御する重要なパラメータになっていることです。
また、「集約性」の条件はシステムの性能としては重要な条件です。なぜならば、その結論の出し方が人々の意見を反映するものでなければならず、したがって、ユーザの意欲を高めるのに欠かせない条件となるからです。
これらの観点から見ると、まじめに考えると、上で見た2つの例はどちらもこの条件を十分には満たしていないように思えます。特に、ユーザ数の不足から「独立性」「分散性」が 成り立つかどうかは確かでない。にもかかわらず、「集約性」は強く表面に出ているため、統計的に十分正しくない”結論”が出力され、誤った見解が流布するおそれがある。結論がひとたび提示されてしまえば、数学をやっていない人にとっては、信じるか信じないかは別にして、信頼性を調べることはできません。それをひとつの結果としてみるしかないのです。
4.予測市場の今後と集合知
プレディクションの取締役谷川正剛氏は「当たる当たらないは別問題。参加者の意見をいかに集め、群衆の叡智を数値化することに意義がある」といいます。ウェブというネットワーク概念が発達した上で、集合知の抽出の技術はまだはじまったばかりです。集合知の効用が確からしいのは疑いようがないので、現段階で精度が低いからといって捨ててしまうには、あまりに味のある概念です。実際に集合知が実現されているかどうかなどの評価手法の確立が、マーケット上での ビジネスの観点からは重要になってくるでしょう。
また、集合知という概念になじめばなじむほど、「群衆」は集合知の情報に依存するようになると考えられます。集合知というのは、良い情報と悪い情報とが混然一体となり膨大な量になってはじめて効用のあるものです。というのも、ランダムさの確からしさ、十分な乱雑性が無い中では、統計の理論は使えないからです。
集合知の集合知といったものにどれだけ価値があるのかは分からないですが、少なくとも予測市場の範疇で考えれば、集合知によって良くも悪くもひとつの結論が出力されてしまう。一般の人の視点からは、何もない場所から急に結論が浮かび上がって見えるかも しれない。システムと理論がその結論が十分正しいものであることを保証しなくてはならないと思います。統計の理論は十分数学的であると思われるが、コンテキストに依存するようなコミュニケーションの理論は数学的であるとは到底言える段階にはないと思われる。この分野の理論的充実が集合知の社会的流布と工学的応用には 欠かせないものと思う。いずれにせよ、数学とコンピュータ科学があまり得意でない人は、特に注意してこれらの情報をうまく扱わなければならないと思います。
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