カテゴリー「2-02.物理学」の6件の記事

2009.03.29

教育の力学モデルと「運動の3法則」との対照的関係

この記事は哲太が書きました。

1.教育と学問との対照的関係

 学問というのは真理を探究するものであり、教育というのは人を教え育てることです。しかし、学問研究の中心のひとつである大学の教授は、教育と学問とを同時にするべき立場にある。どうも学問と教育は違う。しかし、その両方を1人が担えるとされている。教育学ということばはあるけれども、教育学は教育を自然現象のひとつとして学問する、学問分野のひとつです。

 教育と学問が決定的に異なるところというのは、教育できるものというのは、基本的に考察・研究されたものだけだということです。けれども、教育が学問で得られた成果、つまり知識や智慧をまるごと伝えるだけかといわれると、それとも少し違う。それは勉強であって、勉強とは学問を学習、つまり学び習うことです。したがって、学問で得られた成果を最もよく知る研究者が教育者として最も適切だということにはなりません。

 教育のプロフェッショナルは教育者であって、それが必ずしも研究者であるとは限りません。ただし、教育と学問の共通点は、その真理との距離が比較的近いことだと思います。一方は、科学的なものはもちろん道徳的倫理的な側面も含め、これまでの成果を「より広く」伝え、一方では、真理に「より近く」寄ろうとします。教育の目標は、あるときに存在するほとんどの人に真理を伝達することであり、学問の目標は、時間によらず存在するべき真理に漸近することです

 ここにひとつの対照的関係があります。つまり、教育は時間を固定したときに、また学問は時間を普遍にしたときに、最も求める真理との関わりが大きくなります。言いかえると、教育は共時性が、学問は通時性が、最重要です。

 だから、教育というのは、個人の誰が教育されたかよりも、教育者の誰に教育されたか、もしくは「どんな」教育をされたかということが重要になります。特に、「どんな」の方に着目しますと、その時代に固有な教育者によって教育された、その時代の固有な人たち、という人間の集合ができる。その時代「風の」教育を受けた人たちになるわけです。教育の重要性というのはここに あって、時間が固定されているときにもっとも重要な部分が見えるわけです。

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2009.03.20

楕円の法則のファインマンの証明

この記事は哲太が書きました。

 地球をはじめ、惑星はみな太陽のまわりを楕円軌道で公転しています。これはケプラーの第1法則と呼ばれ、楕円の法則として知られるものです。ケプラーはティコ・ブラーエによる詳細な観測データを基に、莫大な計算をしてこの法則を導き出しました。

 楕円の法則を証明したのはかの有名なニュートンです。この証明がニュートン力学をそのあと200年以上も繁栄させることができた根拠と言える、重要な証明です。なんといっても、運動の法則といって、地球の運動を取り上げたのですから。鉄球を転がしたガリレイとはスケールが違います。

 ニュートンの与えた証明は初等幾何によるものです。ニュートンは微分積分の発明者でもありますから、運動の法則の導出に微積分が活用されていることは間違いありません。
だから、『プリンキピア』の中でもてっきり微積分がばしばし使われていると思い込んでいました。

 ニュートンの時代の正当な学問の代表はユークリッド幾何学でした。幾何学のやり方で証明するということが、ちゃんと証明する、ということを意味していました。その技法は初等的とは言え、易しいという意味ではなく、特に円錐曲線(円・楕円・放物線)の定理を活かしきった証明になっているので、現代のちょっとくらい幾何学をやった人間では太刀打ちできないものです。

 もっとも有名であろう物理学者のひとり、リチャード・ファインマンも『プリンキピア』の証明についていけなかったことを『ファインマンさん、力学を語る』の中で告白しています。

 そこで、ファインマンは独自のやり方で!その証明を与えることに成功しました。しかも、現代数学の技法をたっぷりと使うのではなく、ニュートンと同じ初等幾何を用いて、です。

 上に挙げましたが、その証明が『ファインマンさん、力学を語る』(D.L. グッドスティーン、J.R. グッドスティーン、砂川重信訳、岩波書店、1996)にあります。この証明をもとに、自分なりに表現を変えて、楕円の法則の証明を与えることがこの記事の目標です。丁寧な詳しい証明を見たい人は本を読んでもらうことにして、やはり当ブログの趣旨としては、そこからいかにひらめきを得られるか、ということだと思っております。

 随時考察を加えながらやりたいと思います。数学の知識は中学・高校程度あれば十分だと思います。ベクトルという考えすらも必要ないのです!ただし、かなり難しいと思います。どうぞお付き合いください。

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2009.03.16

物理学と心理学とを比べてみる

この記事は哲太が書きました。

 心理学に興味はあれど、なかなか手が出せません。字を見ると、こころのことわりとあります。古くはデカルトにさかのぼって、心は物と対照的です。ニュートン以降、物理学が成功を収めてきたにもかかわらず、現代の心理学にそれほどのブレイクスルーがあったという話をあまり聞きません。

 はじめの物理学というと、アリストテレス(前384-前322)になります。アリストテレスの理論はまったく説得力のあるもので、普通に触れる物の仕組みをうまく説明 しているものだと思います。しかし、今アリストテレスの理論は高校では教えられていません。一方で、量子論以降もニュートン力学は依然として価値を失って いません。なぜならば、スケールが日常的なものであれば、アイザック・ニュートン(1643-1727)の理論は正しいからです。

 マックス・プランク(1858-1947)に始まる量子力学の萌芽はニュートンによって確立されてきた世界観を打ち壊すものでした。量子力学、相対論の2本立てで進められてきた現代の物理学は相当な進捗があったとはいえ、ニュートン力学に見られていた鮮やかな完結を見ることはまだできていません。相対論的量子論、つまり場の量子論以降、素粒子などの分野では議論が絶えません。

 ここにきて、物理学でも心理的な要請とも見るべき現象が観察されてきます。不確定性や波動関数の収縮という事実は、もはや自然サイドだけの問題ではなく、人間サイドの問題、つまり認知などの問題も関わってくるほどおおごとです。これらのことを踏まえて、物理学と心理学が共通して扱わなくてはならない問題がでてきます。心理学はこの文脈の中で位置づけられなくてはなりません。

 しかし、現在の心理学の状況を考えると、量子論まわりで考察していくよりかは、ニュートン力学が生まれた文脈を考えることで、物と心の対比、また物理学と心理学の対比を考え、何かヒントになることを探すのが基本的ではないかと思います。それによって、ニュートン力学のレベル、つまり哲学的なことが法則化される段階まで心理学が発展しないことには、量子論以降の物理学と心理学の共通項の問題を解決することは難しいと思われます。

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2008.11.10

理想的コミュニケーションの不可能性について

この記事は哲太が書きました。

 自分の言ったことを感じたままに伝えられない。経験的に誰もが思っていることがあります。だから面白い。このコミュニケーションの不可能性について考えました。

1.理想的コミュニケーション

 まずは、理想的コミュニケーションとは何か。これについて考えます。先ほどの言葉を繰り返せば、言ったことを感じたままに伝えることができれば理想です。これを解析的にとらえることができるようにしたいです。

 発話者は伝えたいことについて”感覚”していることがあります。これを言語化し、相手と共有しているルール、つまり言語的情報に置き換えます。聞き手はこの言語的情報を受け取り、これを”感覚”します。感覚というのはあいまいな言葉ですが、定義は先送りして経験的に認めることにし、この一連の行為をコミュニケーションと呼ぶことにしましょう。

 理想的コミュニケーションは、この感覚が全く同じであることであるとしましょう。つまり、聞き手の解釈が完璧に発話者の意図どおりになっていることです。”感覚”を定量化するためにはどうすればよいでしょうか。

 これに答えるために、感覚する、認識する、といったような行為を物理的範疇まで引き下げたいと思います。用いるのは、アインシュタインの相対性原理です。

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2008.06.13

量子スケール世界に対する「測定」と「認識」

この記事は哲太が書きました。

<古典力学的測定と量子力学的測定>

 古典力学的な測定は、「ボールがそこからそこに落ちた」という現象と「ボールの座標がy=18からy=0に変化した」という表現とが一致するように構築されてきました。すなわち、自然で起こる運動は、運動方程式という座標的数学表現に必ず1対1に対応するということです。

 1つ1つの現象がうまく対応するように一般的規則を定めることによって、すべての現象を数値的に人間の世界へ写像するということが、量子論以前の物理学の目標でした。

 一方で、量子力学的な測定は、それとは趣が異なっています。上で「座標がy=18からy=11に変化した」と簡単に言ってしまいましたが、それは定規をボールの動きに当てて測定したのです。

 ボールは大きめなので、定規くらいのサイズのもので十分測れますけれど、電子くらいの大きさ、つまり量子スケールのものになると、定規が作れないので、レーザー光を当てたりなんなりして測定をします。けれど、電子というのはとっても小さくて軽いものなので、ちょっとしたことですぐ動いてしまいます。つまり、測定をするために光を当てたら、それだけで前の状態とは異なる状態に遷移してしまうのです

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2008.02.20

量子力学的不確定性と一度に作れる料理の量

この記事は哲太が書きました。

 量子論が教えてくれる大事な原則は、完全に決定された状態というのはありえないということです。これは不確定性関係、揺らぎと言われるものです。10のマイナス33乗cmくらいまで小さいスケールでものを見ることはできないのです。どんなにきちっと固まった、硬そうなコンクリートでも、それくらい小さい部分を見ると細かく振動している。というか、空間を(人間は)それ以上細かく認識できないといった方がいいのかもしれません。

 料理をするとき、一度に作ることができる最小限の量というのがあります。それよりも少なく作ろうとすると、味が均一にならなかったり、火を通すときに焦げてしまったりします。それを含めて考えた料理の法則がレシピです。

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