教育の力学モデルと「運動の3法則」との対照的関係
この記事は哲太が書きました。
1.教育と学問との対照的関係
学問というのは真理を探究するものであり、教育というのは人を教え育てることです。しかし、学問研究の中心のひとつである大学の教授は、教育と学問とを同時にするべき立場にある。どうも学問と教育は違う。しかし、その両方を1人が担えるとされている。教育学ということばはあるけれども、教育学は教育を自然現象のひとつとして学問する、学問分野のひとつです。
教育と学問が決定的に異なるところというのは、教育できるものというのは、基本的に考察・研究されたものだけだということです。けれども、教育が学問で得られた成果、つまり知識や智慧をまるごと伝えるだけかといわれると、それとも少し違う。それは勉強であって、勉強とは学問を学習、つまり学び習うことです。したがって、学問で得られた成果を最もよく知る研究者が教育者として最も適切だということにはなりません。
教育のプロフェッショナルは教育者であって、それが必ずしも研究者であるとは限りません。ただし、教育と学問の共通点は、その真理との距離が比較的近いことだと思います。一方は、科学的なものはもちろん道徳的倫理的な側面も含め、これまでの成果を「より広く」伝え、一方では、真理に「より近く」寄ろうとします。教育の目標は、あるときに存在するほとんどの人に真理を伝達することであり、学問の目標は、時間によらず存在するべき真理に漸近することです
ここにひとつの対照的関係があります。つまり、教育は時間を固定したときに、また学問は時間を普遍にしたときに、最も求める真理との関わりが大きくなります。言いかえると、教育は共時性が、学問は通時性が、最重要です。
だから、教育というのは、個人の誰が教育されたかよりも、教育者の誰に教育されたか、もしくは「どんな」教育をされたかということが重要になります。特に、「どんな」の方に着目しますと、その時代に固有な教育者によって教育された、その時代の固有な人たち、という人間の集合ができる。その時代「風の」教育を受けた人たちになるわけです。教育の重要性というのはここに あって、時間が固定されているときにもっとも重要な部分が見えるわけです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント